トロンボーンの話
ぼくの音楽的嗜好のベースはトロンボーンにある。
まともに音楽を聞くようになったのもトロンボーンを吹きはじめてからであるし、ジャズというジャンルに固執するようになったのも「どうやらここならトロンボーンが活躍できるらしい」と知ってからだ。
ぼくがロックをあまり好まないのは、トロンボーンがなかなか出てこないからだ。
好きなポルノグラフィティの曲は"Mugen"だし、Macklemoreの場合は"Can't Hold Us"だ。(どちらもホーンセクションがある)
ここまで好みの傾向がわかりやすいと知性がなさそうに見える。
そんなぼくとトロンボーンだが、その出会いはまったく不思議なものだった。
その時、通っていた学校では器楽の授業で、管楽器を習うことができた。クラリネットやら、サックスやら、そういうのだ。ほとんどの女の子がフルートを希望するもんだから、高音中心のいびつなバンドになるのがお決まりだった。
最初、ぼくはトランペットを希望していた。特に考えがあったわけではないのだが、パリッとした高音を響かせられたらカッコよかろう、とは思っていた。
授業初日、やや大柄な女性教師にそのことを告げると、彼女は小さな漏斗のようなものをいそいそと持ってきてこう言った。
「吹いてみてちょうだい」
なるほど、これがマウスピースというものなのか、とその時初めて気がついた。ぼくは唇にそれを押し当て、精一杯吹いてみた。何かしらの音がでる。
彼女はやや顔をしかめ、いそいそと倉庫に戻ると、また別のマウスピースを持ってきた。今度は一回りほど大きい。
「こっちも吹いてみてちょうだい」
ぼくはそれも精一杯吹いた。今度はややはっきりした音がでた。
彼女は眉間にシワをよせ、少し考えると、おもむろにこう言った。
「あなた、トロンボーン担当ね。頼むわよ」
そしてぼくの肩をポンと叩くと、スタスタ歩いていってしまった。
反論の余地はなかった。希望の楽器と違うこと何度か訴えようとはしたが、いまいちコミュニケーション能力が不足していた。
かくして、あのやたらと長い、いまいましいほどに華やかな色をした楽器は、ぼくのものとなった。
おそらく彼女は不足していた低音パートをうまいことぼくに押し付けたのだろう。次の発表会で低音を吹いたのはぼく一人だった。
そして月日は流れ、気づくとぼくは、トロンボーン以外の楽器を吹く気がなくなっていた。
あの日、不思議な邂逅を果たしたマウスピースを......SL-48Sを......ぼくはときおり、試す眺めつして手の中で転がすのだ。
追記
マウスピースを取るときは顔が写らないように気をつけよう。
作業場所の話
インドアな僕は、自分の部屋が好きだ。
自分用に整えられたデスクトップ。
必要なもの(ティッシュ、飲み物、枕)がすぐ届く配置。
座り心地の良いイス。
どれも眺めるだけで愛おしい。一日中ここにいたって構わない。
しかし、僕は外も好きだ。
野外、という意味ではなく、カフェなど街の作業場所のことだ。こっちの方が効率は良かったりもするのだ。集中力が皆無のまま成長するとこうなる。
具体的にいうと、ドトールが好きだ。
貯まっていくばかりで消費されないTポイント。
一瞬で飲み終わるアイスティS(250円)。
三時間無料のWiFi(だいたい使い切る)。
やたら小さい机。
だいたい一回の入店で六時間は粘れる。
なんとなく、アホな生き方をしているのは理解できる。
あと、ドトールの店員に嫌われてるのも。
コーラの話
コーラ。
世間一般には、体に悪い飲み物の代表のように捉えられている。
どぎついカラーリング。妙な噂がたつネーミング。そして極め付けの糖分量だ。うちの親も、あまり進んで飲ませたがらなかった。
しかし、郷に入っては郷に従えという言葉がある。
中国に住んでた時はとにかく冷たい飲み物がなかった。物資が無いのではない。「冷たいものを飲む」という文化自体が存在しないのだ。夏場は地獄だ。
その点コーラは偉大だ。
アメリカから渡ってきたその瞬間から、「冷やして飲む炭酸飲料」という自身の売り文句でもって中国四千年の歴史をブチ壊してくれた。
どのレストランに行っても、コーラだけはキンキンに冷えていた。
そんなこんなで、僕はコーラ中毒になってしまった。
思えばこれは帰国子女特有の症状なのかもしれない。知り合いの帰国は全員、コーラを携帯していた。
そして、毎日のように500mlペットボトルを空けるうちに、僕は真理に気づいたのだ。
「コーラは健康にいい」
大事なのは飲むタイミングである。
朝ごはんを抜かざるを得なかった朝に一気飲み。これである。
ここにその利点の一端をお知らせしよう。
① カロリーが高い。
先ほども書いたように、コーラの糖分量は異常だ。逆にいうと、ものすごくコストパフォーマンスがいい、ということである。朝、コンビニでおにぎりやパンを買うよりずっといい。
② 炭酸飲料である。
夢うつつの通勤電車も、これでシャッキリ、乗り過ごしも解消だ。多量のカフェインも助けてくれるぞ。
③ なんかヤバいのが入ってるという噂がある。
朝なんてドーピングするくらいがちょうどいい。はいオッケーイ。
どうだろうか。これを読んだみなさんも、軽率にコーラ中毒になってもらいたい。
ところで、先日、しきりに上記の理屈を唱えてコーラを痛飲していた時の写真が出てきた。高二の春の頃である。
メチャクチャ顔が丸かった。
あれ?
ポーカーの話
僕も一応男だ。男のロマンの何たるかは理解しているつもりだ。
つまるところは、ギャンブルである。
馬券を買ってモツ煮込みをつつきながら、ではいけない。スーツでビシッと決めて、薄暗いカジノで寡黙にトランプをさばく。これである。
「俺もやってみてえ」と、幼い俺はよく考えた。
どうにか未成年でもできて、スリルと脳汁をいっぺんに楽しめる方法はないか、と。
何しろ麻雀もやらない家庭である。そういう類の遊びととにかく縁がないのだ。
で、友達とやるのが一番無難だという結論に至った。2chで「クラスでシャー芯を通貨代わりにしたギャンブルが流行った」というコピペを見たのもあったのかもしれない。
トランプはあった。次に必要なのは、チップだった。
こういうのである。
かっこいい。これを山のように積み上げて、他のギャンブラーたちから「一体何者なんだ?あの新入り......」って言わせたい。
ただ、売ってる場所がわからなかったので親にダメ元で聞いてみることにした。
「なあなあ、ポーカーのチップ買ってや」
「いいけど、どこに売ってるの?」
「知らん だから聞いてる」
「まあアマゾンで探してみようか 何でもあるからねえ」
あった。
人生ゲームやろうってんじゃねえんだぞ。
映画とポップコーンの話
僕は友達がいないので一人で映画を観ることができる。
すごいだろう。誰か褒めろよ。褒めて欲しい。
基本的には誰も褒めてくれないので、僕は今日も一人で映画を観に行く。
一人映画の利点として、「ポップコーン独占状態」があげられる。
素晴らしいことだ。あの入れ物に入った白いもさもさ、全部自分のだ。隣に座ってる知り合いだかなんだかに「食べる?」って聞く必要もない。すごく嬉しくなる。
ただ、これにも問題はある。
口が乾くのである。適度な塩分とあのパサパサした食感がバキュームカーのごとく僕の口内の水分を奪って行くのだ。
そうなると、飲み物が欲しくなる。ただ、映画館の飲み物は高い。ポップコーンに関しては映画館の外で食べることはないので特に何も感じないが、飲み物に関してはやっぱり高く感じる。
で、ポップコーンだけ持って入る。終盤、一番いいところでメチャクチャに喉が乾いて、空の箱を握りしめる。
これを毎回やっている。何も学んでいない。
この前ふと思ったんだが、どちらが先なのだろう。
「ポップコーン売ったはいいけど客が飲み物欲しがるな......飲み物も売るか」
なのか
「飲み物売ったはいいけど客がツマミ欲しがるな......ポップコーンも売るか」
か。卵が先か鶏が先かみたいな話だ。
頭が痛くなってきた。今日はおしまい。
ブログをやってみたかったんだ
初めまして。
柳 小槌と申します。
普段はtwitterの方で踊ってたり、カクヨムってサイトで歌ってたりするんですけど、なんか「小説とか創作じゃなくて自分の話を長めに書ける場所が欲しい」って思ったのでブログを始めました。
ほら、人間って自分の話するの大好きじゃん。俺もなんだよ。
で、これ書いていて思い出したんです。いにしえの黒歴史。
小学校のころ、なぜかやってたブログ。
しかも落語にハマってたんで、落語の事ばっか書いてたブログ。
gooブログのIDとパスワード忘れちゃったんで消そうにも消せないブログ。
あれからインターネッツでサーフィンし続けて早ペケペケ年。
あの時よりマシなものになるのか。あの時のランキング落語部門一位(観覧者のほとんどは同級生と親戚)の栄光は超えられるのか。
とかなんとかいってるけど、「Hit the F-blues」、よろしくお願いします。