Hit the F-blues

なんか書き殴ってる

ミルクティーの話

コンビニで売っているミルクティーを飲んだことはあるだろうか?

 

午後ティーでもリプトンでもなんでもいい。とにかく、市販されているミルクティーを頭に浮かべていただきたい。

その時、あなたの脳裏に浮かぶ一つ目の単語は「甘い」であろう。

もしくは「ゲロ甘」か、「バカ甘」、それじゃないなら「糖尿病への片道切符」かもしれない。

 

そう、コンビニのミルクティーは甘いのだ。

 

それは普遍的事実であると同時に非甘党にとっての悪夢である。

何しろおびただしい量の牛乳と砂糖だ。

口に含んだ瞬間、コンデンスミルクを口にブチまけたような濃厚な甘さに頭がクラクラとして、ほんの少し、紅茶本来の苦味が来たかな、と思うとすぐ甘さがそれを上書きする。

牛乳の入った紅茶を飲んでいる、というよりは紅茶の入った練乳を飲んでいる気分になる。おかしいじゃねえか。パッケージにミルクティーって書いてあるんだからミルクティーを出してくれよ。

 

とまあ、コンビニのミルクティーに対する恨みつらみは尽きることがない。これは日本人の75%が共有できる感覚であろうと言われている。

でも、ミルクティーは飲みたいのだ。なぜならミルクティーは美味しいからだ。

紅茶と牛乳が絶妙にマッチしたまろやかな苦味。飲み込んだ後に残る温かな滋味。

聞けば産業革命時代の労働者はミルクティーをもって昼食としたというではないか。美味しい上にエネルギー効率もいいとか、最強じゃないか。俺にも飲ませろよ。

 

そんな中、我々に、つまり非甘党であるにも関わらずミルクティーへの未練を断ち切れずにいるヘタレどもに、一筋の希望の光が差した。

 

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午後の紅茶 Tea with milk(甘くない)』である。

 

非甘党の宿敵、午後の紅茶シリーズが放った二人目の刺客。ちなみに一人目は『午後の紅茶 無糖』だ。ミッキーのポップなデザインもさることながら、デカデカと書かれた『甘くない』が印象的である。

もし、宣伝文句に間違いがないのなら、これは革命である。

「パンが無ければケーキを食べればいいじゃない」と嘯いていたマリー・アントワネットが頭を下げてパンを市民に配るレベルの大事件である。

これを見つけた僕は、喜び勇んで購入した。

 

キャップを開けてみると、普段のものとなんら変わらない、午後ティーの香りがする。

本当に甘くないのだろうか、と疑ぐりつつも口に含むと、体に衝撃が走った。

 

甘くないのだ。あの午後ティーが。

 

というより、まるで甘みが感じられないのだ。脱脂粉乳でも使ったのかな?ってくらい甘くない。

おかしい、そんなはずはない、と何度飲み直して見ても、味は変わらない。僕は愕然として新百合ヶ丘の駅に立ち尽くした。

 

僕が思うに、我々はまんまと策にはまってしまったのだ。

おそらく、ペットボトルの中にあの白みががった茶色を見ると、我々の脳は無意識に甘さに対して身構えてしまうのだ。

そこに「通常のミルクティー」が飛び込んでくると、身構えた脳は拍子抜けして全く甘さを感じないぞ、と思ってしまうのであろう。

 

全てはあの瞬間、あの恐るべき紅茶風味の練乳を口に含んだ瞬間から仕込まれていたのだ。

我々がもう二度と、ペットボトルでミルクティーを楽しめないようにと。

 

 

結論

ミルクティーは自分で沸かして楽しみましょう。

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