イギリスの朝食の話
ところで今、イギリスに住んでいる。
別にそこまで特別な事情があるわけではない。単に留学に来ているだけだ。
北のほうの田舎で勉学に励んだり励まなかったりする日々を送っている。
ということは、おそらくこのブログもイギリスでの生活がメインコンテンツになっていくのだろう。
当面の目標は「海外駐在妻みたいな上から目線のブログを書かないこと」です。これからもよろしくね。
出発前、知り合いに留学のことを報告すると、皆口を揃えてこう言った。
「えー、イギリスって食べ物がマズイんでしょう?」
曲がりなりにもイギリスで継続的に食事をした人間として、少しばかり訂正したい。
ものによる。
「当たり前だろ」言われそうな気もするが、本当にものによるのだ。
チップス(いわゆるポテトフライのこと)はカリッとホクホクで大変美味だが、メインのハンバーガーのパテに物足りなさを感じたりする。
肉入りのパイは飽くまで雄々しく、ジューシーな肉汁がたまらない一品だったが、付け合わせの豆をすり潰したものが絶望的にマズかった。
そこにくると、朝ごはんなどはイギリスの食事の中ではかなり安定している部類に入る。
ベイクトビーンズトーストやパスタ缶トーストなどのあまりにも有名な罠を避ければ、どこへ行ってもそれなりのものが楽しめる。
サンドイッチやラップ系などはその最たるものだ。
そもそもイギリス人は、サンドイッチを作るのが上手い。
「何を挟めばいいか」のツボを上手く抑えているし、日本のものよりはるかに美味しいと感じることもザラにある。
僕が初めてその真髄に触れたのは、到着2日目の朝である。
当時、知り合いも誰もいない異国で、僕は腹をすかせていた。
時差ボケで寝坊したので、朝ごはんも食べずに2時間教室にこもって説明会を受けていたのだ。最後の方など意識が飛びかかっていた。
昼食にも少し早い時間だったので、軽くつまめるものがいいな、と思っていると、カフェのような店が目に入った。
店内を見ると、カフェというには食事に寄っている印象が強かった。冷たいサンドイッチ、温められるサンドイッチ、ドーナツなどが目玉商品だったように思われる。
僕が選んだのは、その名も"all breakfast wrap"という代物だった。
サンドではなくラップなので中身は見えない。ただ、breakfastというのだから朝ごはんにピッタリなのだろう、とは思っていた。
しかも、all breakfast、だ。相当な自身があるに違いない、とも思った。
3ポンドでそれを買うと、レンジで温めてくれた。
暖かいラップを頭から一かじりすると、
全ての朝食が飛び出してきた。
もう一度言う。全ての朝食が、飛び出して来たのだ。
これは誇張や比喩表現ではない。
ラップの中から飛び出して来たのは、いわゆるイングリッシュ・ブレックファーストに含まれるものの、その全てだったのだ。
ソーセージ。カリカリのベーコン。オムレツ。心ばかりのトマト。ケチャップ。
それら全てがいっぺんに口の中でそれぞれを主張しつつも、一つの小麦粉の塊に包まれて肩を寄せ合っていた。
そして、驚くことに、美味いのだ。曇り気味な朝の空気の中では、一かじり一かじりが幸せだった。
半分ほど食べたところで、「この光景どこかで見たことがあるな」と思った。
「これ、セブンの爆弾おにぎりだな」と。
ゲームの話
Team Fortress 2というゲームがある。
Valveが2007年に公開して以来、11年間絶えずプレイされているファーストパーソンシューティングゲームだ。
最大の特徴は、無料であることとMacでプレイできること。
公開当時はその画期的なアートスタイルとゲームシステムが注目されたが、それも最早過去の話である。似たようなゲームはそれほど腐るほどある。
はっきり言ってしまうと、本作品は斜陽の憂き目にあっていると言わざるを得ない。
プレイ人口はもちろん、Valveによるアップデートの頻度も激減し、「惰性で稼働し続けている」と言っても否定できない有様だ。
日本においては、同種のゲームであるOverwatchやPUBGに完全に取って代わられている。
僕がこのゲームに出会ったのは13歳のころである。
当時、僕が所属していた演劇部には、パソコンオタクのアメリカ人がいた。
(我ながら全くチグハグな文章だなとは思うが、全て事実なのでどうか受け止めていただきたい)
当時、中学では、Minecraftというゲームが死ぬほど流行っていた。
僕と彼も御多分に洩れず、週末ごとにどちらの家でオンラインプレイで遊んだり、実況動画をとってYoutubeに投稿するなど、黒歴史の増産に勤しんでいた。
ある日、彼は......このまま流行りのゲームだけをプレイすることに物足りなさを感じたのだろうが......唐突に、シューティングゲームをやりたいと言い出した。
ただ豆腐状の家を建てるよりも、もっとバイオレンスなモノに手を伸ばしたかったらしい。今思えば、思春期らしい行動であったとも言える。
それでも、いきなりハードでゴアな作品には手が伸びなかったようで、最終的に一つのゲームに落ち着いた。
それがこのゲーム......Team Fortress 2だったのだ。
その頃には我々もPCを使いこなせるようになっていたこともあって、もう狂ったようにプレイした。
彼は、まったくもって、オールラウンダーだった。
どんなジョブでもソツなくこなし、特にスナイパーの腕は一流だった。
「母親にキツく禁止されてるんだ」と言って、火炎放射兵だけは死んでも使わなかったが。
反対に、僕は絵に描いたようなnoobだった。
エイムもガバガバだし、反射神経も悪く学習能力もない。
何度もチョークポイントに突っ込んでは無駄死にとリスポーンを繰り返す、筋金入りのヘタクソだった。
そんな僕は火炎放射兵を好んで使った。
理由は単純。エイムが必要なく、突っ込むだけでもそれなりに戦果を挙げられるからだ。
彼には僕以外にも一緒にゲームをする相手はいただろうし、何もこんなヘタクソと協力プレイする必要もなかったのだろうが、よく僕に付き合ってプレイしてくれた。
それから五年が経った。
今では彼も僕も別々の場所に引っ越し、それぞれの社会の中でどうにか生きている。
僕は今でも、たまにこのゲームをプレイする。
どうにもこうにもムシャクシャして、物に当たらなきゃ気が済まない、という気分になると、ふとこのゲームの存在が頭をよぎるのだ。
で、急いで家に帰って、PCを開いて、ゲームを起動する。
五年前からUIは少しばかり変わったが、やることはほとんど変わっていない。
そこで僕は、五年前からの愛用の装備を引っ張り出し、我を忘れて火炎放射器をブン回すのだ。
敵チームが燃え尽きていくのを見ると、少しばかりの爽快感と共に、なんとも言えない、ノスタルジーに包まれる。
彼もたまに、僕のこのストレス解消に付き合ってくれる。
PCオタクの彼のことだ。今頃は新しいゲームにハマって、こんな過去の遺物はとうに忘れているだろう。
それでも、僕のクソプレイに、嫌な顔一つせず付き合ってくれる。
彼のプレイングの方はというと、だいぶ下手になった。
『いつだってやめられる 10人の怒れる教授たち』を観た話
初めてこの映画の存在を知ったのは、youtubeの広告か何かだったと思う。
一目で「これは絶対面白いぞ」と思ったのを覚えている。
で、つい先週、観に行ってきた。
メチャメチャ面白かった。なんというか、期待を裏切らない面白さだった。
内容的には、イタリアの賢い人がやってる『オーシャンズ11』とか、『ブレイキング・バッド』だと思ってもらって差し支えない。物語も終始そういうテンションで進行する。
まあ、細かいあらすじは公式HPで見て欲しい。あんまり参考にならないから。
で、何がいいって、イタリア人がいい。
あいつら、とにかくうるさいのだ。普通に喋っても早口ですごい情報量をいっぺんにまくし立てるし、何より身振り手振りが死ぬほどうるさい。
冴えない中年男性二人が話しているだけのシーンでも、画面が地味にならない。とにかくうるさいから。
最初はそのあまりの情報量の多さに脳味噌がやられるが、だんだん慣れてくるとその状態が心地よくなってくる。
不思議と、やかましいイタリア人が愛おしく思えてくるのだ。
そうなったらもうおしまいである。何しろこの映画、出演者は全員イタリア人だ。
しかもメインを張る10人は、ウダツの上がらない中年男性と来ている。
もうね、みんなかわいい。
いくらヒゲ面のブ男だろうと、着ている服がヨレヨレだろうと、デブだろうと、一挙手一投足がダサかろうと、とにかくかわいい。かわいく見えてしまうのだ。
で、そんなかわいい中年男性どもが、10人もいるのだ。
興奮しないわけがないだろ。いい加減にしろ。
僕の推しは古典考古学者とラテン碑銘学者と解釈論的記号学者の仲良しトリオだ。
この3人は中でも冴えない。一番トラブルメイカーしてるし、いつも一緒にいるからトリオ感がすごい。
それでも中盤〜後半にかけての見せ場がすごい。今回の仕事は理系の皆さんがメインになりがちな分、予想できない方面でしっかりと活躍してくれるから観て欲しい。
つまり、何が言いたかったかというと、ストーリーは追えなくても楽しい。
多種多様なポスドクのおっちゃん達がわちゃわちゃしてるのを見るだけでチケット代の元はとれている。だからみんな観に行ってくれ。
そして、これの続編にして三部作の最終章(実は本作は三部作の二作目である)を日本で公開させてくれ。頼んだぞ。
ファッソンの話
比較的、カッチリした服を好む家庭に生まれたことは自覚している。
物心ついた時からラルフローレンだかなんだかのシャツを着せられていた記憶があるし、写真でもそんな感じのシャツを着ていることが多い。
小学校に上がると反骨精神からか、Tシャツ・パーカー等のラフな服を好んで着るようになった。
「服なんて寒さをしのげればええやんけ!」と思っていた時代である。
高校に進学した頃からファッションセンスの欠落を実感し、どうにかファッショナブルなものを身につけようと努力した。
すると、「カッコいい!」と思う服思う服、全てがカッチリしたセミフォーマル以上のものなのだ。
これにはビビった。あんなに親の趣味に反発しておきながら根底はしっかり洗脳されていたのだ。なんたる情けない反抗期であろうか。
そして今、大学生になった。
無知だった高校生の頃と比べ、いろんなソースを利用してファッソンというものを調べるようになった。
素人がコーディネイトを投稿するアプリをインストールし、自分なりの研究を重ねた。
色々ななお洋服屋さんにも入れるようになった。カメのようなノロさだが、大きな進歩である。
だが、未だに理解できないことが一つだけある。
「シャツの下からロング丈のタンクトップをのぞかせる行為」である。
なんで出てんの???????
死んでもズボンにパンツ以外の衣類を入れたくない人なの???????
俺がしまってあげようか?????ねえ??????
「シャツのボタンを開けて中のTシャツを覗かせる」とかなら、まだわかる。
しかし、「ボタンを閉じた上でその下から白いのが覗いている」のは、やはり僕にはどうも理解できなかった。
ここで投げ出してはいけない、と思って、僕はグーグル先生に教えを請うた。
どうやら、スタイルの面で効果があるらしい。
ズボンの股にあたる部分を隠し、脚を強調することでよりスマートに見えるのだという。
また、シャツとズボンの間にワンカラー入ることで色的なアクセントにもなるのだそうだ。
これには僕も膝を叩いた。
なるほど、合理的理由があってのファッションだったのだ。そう考えると、案外悪いものではないのかもしれない。
やはり食わず嫌いはよくない。あんな感じのタンクトップがあったら僕も買ってみよう・・・。
そう思って、その日は眠りについた。
そしてそれを忘れ去って数週間が過ぎだ頃に、友達と服を買いに行った。
センスがいいと評判で、お洋服の選び方をご教授いただこうと思ったのだ。
彼のよく知っている服屋に入ると、何やら白くて長い布のようなものが目に入った。
近くで見ても到底服には見えない。奇抜なストールかなんかだろうか。
僕は友達に聞いてみることにした。
「これ、どういう服なの?」
「ああ、それね」
彼はことも無げに答えてくれた。
「シャツの下から裾をのぞかせるタイプのタンクトップでね。最近流行ってて・・・」
これ、タンクトップなの!??!?!!?!?
一度わかったと思っていたものが再びわからなくなって、僕は気を失って倒れた。
ミルクティーの話
コンビニで売っているミルクティーを飲んだことはあるだろうか?
午後ティーでもリプトンでもなんでもいい。とにかく、市販されているミルクティーを頭に浮かべていただきたい。
その時、あなたの脳裏に浮かぶ一つ目の単語は「甘い」であろう。
もしくは「ゲロ甘」か、「バカ甘」、それじゃないなら「糖尿病への片道切符」かもしれない。
そう、コンビニのミルクティーは甘いのだ。
それは普遍的事実であると同時に非甘党にとっての悪夢である。
何しろおびただしい量の牛乳と砂糖だ。
口に含んだ瞬間、コンデンスミルクを口にブチまけたような濃厚な甘さに頭がクラクラとして、ほんの少し、紅茶本来の苦味が来たかな、と思うとすぐ甘さがそれを上書きする。
牛乳の入った紅茶を飲んでいる、というよりは紅茶の入った練乳を飲んでいる気分になる。おかしいじゃねえか。パッケージにミルクティーって書いてあるんだからミルクティーを出してくれよ。
とまあ、コンビニのミルクティーに対する恨みつらみは尽きることがない。これは日本人の75%が共有できる感覚であろうと言われている。
でも、ミルクティーは飲みたいのだ。なぜならミルクティーは美味しいからだ。
紅茶と牛乳が絶妙にマッチしたまろやかな苦味。飲み込んだ後に残る温かな滋味。
聞けば産業革命時代の労働者はミルクティーをもって昼食としたというではないか。美味しい上にエネルギー効率もいいとか、最強じゃないか。俺にも飲ませろよ。
そんな中、我々に、つまり非甘党であるにも関わらずミルクティーへの未練を断ち切れずにいるヘタレどもに、一筋の希望の光が差した。
『午後の紅茶 Tea with milk(甘くない)』である。
非甘党の宿敵、午後の紅茶シリーズが放った二人目の刺客。ちなみに一人目は『午後の紅茶 無糖』だ。ミッキーのポップなデザインもさることながら、デカデカと書かれた『甘くない』が印象的である。
もし、宣伝文句に間違いがないのなら、これは革命である。
「パンが無ければケーキを食べればいいじゃない」と嘯いていたマリー・アントワネットが頭を下げてパンを市民に配るレベルの大事件である。
これを見つけた僕は、喜び勇んで購入した。
キャップを開けてみると、普段のものとなんら変わらない、午後ティーの香りがする。
本当に甘くないのだろうか、と疑ぐりつつも口に含むと、体に衝撃が走った。
甘くないのだ。あの午後ティーが。
というより、まるで甘みが感じられないのだ。脱脂粉乳でも使ったのかな?ってくらい甘くない。
おかしい、そんなはずはない、と何度飲み直して見ても、味は変わらない。僕は愕然として新百合ヶ丘の駅に立ち尽くした。
僕が思うに、我々はまんまと策にはまってしまったのだ。
おそらく、ペットボトルの中にあの白みががった茶色を見ると、我々の脳は無意識に甘さに対して身構えてしまうのだ。
そこに「通常のミルクティー」が飛び込んでくると、身構えた脳は拍子抜けして全く甘さを感じないぞ、と思ってしまうのであろう。
全てはあの瞬間、あの恐るべき紅茶風味の練乳を口に含んだ瞬間から仕込まれていたのだ。
我々がもう二度と、ペットボトルでミルクティーを楽しめないようにと。
結論
ミルクティーは自分で沸かして楽しみましょう。
エレクトロスイングのPVの話
エレクトロスイングというジャンルがある。
要はジャズっぽいEDMだ。インターネッツに行けば色々聞けるから各自聞いて見てほしい。
ほんとは音楽に関する話をしたいのだが、今日は主にPVについて語りたい。
暇つぶしに色々見て回ると、PVになんとなく共通点が見えてくる。
① レトロである。
② 美少女が歌ってる。
③ 二次元である。
だいたいこのどれかは確実に網羅している。
例えば、エレクトロスイングの大家、"Parov Stelar"はどうだろう。
①レトロで、③二次元だ。
ジプシーみが楽しい"Caravan Palace"はどうだろうか。
レトロだし、美少女が出てくる。①と②だ。
余談だがこのバンドはオタサーの姫みたいなボーカル"Zoe"をこれでもかってくらい推してくる。
彼らだけではなく、他のグループも大概この法則に当てはまるのだ。
"Swing Republic"も
構成メンバーは男だけのはずの"Lyre le temps"もしっかり女の子を出している。
"Tape Five"に関してはそれっぽい映像をそれっぽく繋げてるだけだから気にしなくて良い。このバンドのPVは本当に面白くない。
しかし、ここにきて革命児が現れる。
レトロでもなく、美少女も出ず、二次元でもない、そんな革新的なPVを作るグループが、せっまいせっまいエレクトロスイング界にも残っていたのである。
僕は、このメインストリームに精一杯逆らって、自らのマイノリティたる姿勢を貫くひとつのグループに大いなる賞賛を送りたい。
それではお聞きください・・・。
(ドラムロール)
"Kilschee"で、"Swing it like Roger"!
誰か教えてくれ。
一体どこの誰が、このクッソオサレな音楽に、
「メンバー四人(全員オッサン)が準備運動したりテニスしたりバナナ食ってるところ撮ってPVにしようぜ!」
と言い出したのか。
気は大丈夫か。なぜそうなった。悪ノリなのか。マジなのか。
誰か教えてほしい。
中途半端な時間に寝た話
読んで字のごとくである。
晩御飯を食べ終わったのが19:00くらい、気づいたら24:00だった。
これはぼくの一日の睡眠に相当する時間である。今は微塵も眠くない。現在、27:00であるにも関わらず、メチャンコ目が冴えている。
とりあえず音楽を聴いたり、新しい小説のプロットを立てて時間を潰しているのだが、ふと時計を見ると夜の27:00である。すごく不安になる。
ここで寝てしまうと、日中、変なタイミングで眠くなって苦労するのは目に見えている。
景気付けにちょっと華やかな音楽を聴いた。
Miami Sound Machineで"Conga"だ。
聴いてくれた人はわかると思うが、死ぬほどジャンクな音で死ぬほど脳みそを揺らしてくる曲だ。
余計に気持ち悪くなった。逆に眠気が増し、とても起きていられない。
でも好きなんだよなあ、この曲。おやすみなさい。